「漫画を生み出すことに疲れた私は、漫画を描くことで元気になれた」安野モヨコさんインタビュー

箱庭読者のみなさま、はじめまして。
フリーランスで執筆業などをしている塩谷舞と申します。しおたんと呼ばれております。

突然ですが……一生懸命モノづくりをして働いていると、好きで始めたことなのに、信じられないほど疲れてしまう時ってありませんか?
自分を励まして頑張れる日もあれば、上手くいかない日もあり、不調が長引いてしまうと「もう私は頑張れないかもしれない」と思ってしまったり……。

私もそんな時があったのですが、しんどい気持ちに優しくしみるストーリーをお届けしたくて、箱庭さんにお邪魔しました。休憩しつつ読んでいただけると、嬉しいです。

――あなたは子どもの頃、どんな物作りに夢中でしたか?

ビーズのアクセサリー作り、自由帳での迷路づくり、お手製の魚釣りゲーム……。
きっとクリエイターになった人の多くが、子どもの頃から、自分だけの物作りに夢中だったはず。漫画家・安野モヨコさんも、その一人です。

安野モヨコさん(以下:安野):子どもの頃はいつも、着せ替え人形を作っていました。土台となる人の形から自作して。憧れのセーラー服とかワンピースを着せたり、ファッション誌を参考にしたり…。そういうの、今でも好きなんですけどね。

——ファッションとお絵描きが大好きだった物作り少女は、高校卒業と同時に漫画家デビュー。18歳という若さでした。

岡崎京子さんのアトリエでのアシスタントを経て、同級生が社会人生活にも慣れてくる24歳の頃には『ハッピー・マニア』の連載をスタートさせます。

「メンヘラ」だなんて言葉こそまだない時代に、突発的にLOVEを追いかけては失敗し、自分を消費し続ける重田加代子の姿に共感してしまった女性は数知れず。たちまちフジテレビでもドラマ化されてしまう、ヒット作品となりました。
『ハッピー・マニア』1巻より
『ハッピー・マニア』1巻より

そこから『シュガシュガルーン』『さくらん』『働きマン』といった大ヒット作を連発していく安野モヨコさんは、「ヒット作メーカー」と呼ばれるまでに。
左から『シュガシュガルーン』『さくらん』『働きマン』全て1巻
左から『シュガシュガルーン』『さくらん』『働きマン』全て1巻

ストーリー漫画を描けなくなった、2008年のこと

安野モヨコさんの描く漫画のヒロインは、強がることが板についてしまったような女性。
『働きマン』1巻より
『働きマン』1巻より

松方弘子だけではなく、『シュガシュガルーン』のショコラも、『さくらん』のきよ葉も、曲がらない芯を持った、不器用なほどに強がってしまう女性ばかりでした。

そんなヒロインたちを生み出した安野さん自身は、多い時には3本のストーリー漫画に加え、月刊雑誌でのコラムも同時進行。忙殺される中でも「他人の時間を自分のために使ってもらったのだから、相手を元気にしたい!」と、寝る時間を極限まで切り詰めて、自分の持てるエネルギーを漫画に注いでいました。

みんながそんな強い安野さんを尊敬して、協力して、時にはその能力に過剰にあやかってしまいます。ヒット作連発の渦の中心にいる彼女こそ、誰もが認める働きマンでした。

でも、2008年。安野さんは、当時連載していた全てのストーリー漫画をピタリと止めてしまいます。過労による慢性疲労症候群、そしてうつ病でした。

彼女の夫であり、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズの監督・庵野秀明さんは、こう語っています。

嫁さんは巷ではすごく気丈な女性というイメージが大きいと思いますが、本当のうちの嫁さんは、ものすごく繊細で脆く弱い女性なんですよ。つらい過去の呪縛と常に向き合わなきゃいけないし、家族を養わなきゃいけない現実から逃げ出すことも出来なかった。ゆえに「強さ」という鎧を心の表層にまとわなければならなかっただけなんです。心の中心では、孤独感や疎外感と戦いながら、毎日ギリギリのところで精神のバランスを取ってると感じます。(後略)
—庵野秀明(『監督不行届』あとがきより)

——忙しくて忙しくて、ギリギリのバランスをついに崩してしまった安野モヨコさん。そんな彼女が唯一、体調が悪くても描くことを止めなかった作品がありました。それが、当時朝日新聞で連載をしていた1ページ漫画『オチビサン』です。

『オチビサン』1巻より
『オチビサン』1巻より

「オチビサンを描きながら、安野さんは、自分自身を癒しています」(佐渡島)

それまでの安野作品に共通するような、センセーショナルな展開を期待してオチビサンを読むと、少し拍子抜けしてしまうかもしれません。

だってそこには、足を止めないと気づけないような四季の美しさ、口にすることも躊躇うような小さな感情が、純粋な「オチビサン」の存在を通して描かれていて、センセーショナルな事件なんてこれっぽっちも起こらないのです。

10年来、安野モヨコさんの編集担当をしてきた佐渡島庸平さんはこう教えてくれました。

佐渡島:安野さんは、人に元気を分け与える漫画を描いてきました。そして多くの人から「元気になった」というお便りをいただいてます。
でも、「疲れている私には、働きマンの松方がまぶしすぎて、読んでいてしんどくなった」なんて声がきたこともありました。

安野さんは、すごーく真面目です。だから、そういう声を聞いてしまうと

「疲れている人でも読めるような、優しいマンガを生み出したい」

と。時折り、口にするようになりました。

そうして、2007年に誕生したのが『オチビサン』です。
初めは、ストーリーマンガと並行して描いていた『オチビサン』ですが、2008年に他の作品を休載するようになり、『オチビサン』だけを描くようになりました。

ストーリーマンガをやめて、安野さんに変化が起こりました。

まず、約束の時間に遅刻しなくなりました(笑)。
僕が、安野さんの担当となったばかりの頃、何度も何度も約束をすっぽかされ、家の前で待ち続けたりしたこと数知れず。その頃の僕は、なぜ、約束の時間が守れないのだろう? と不思議でしかありませんでした。

でも、休んでいる安野さんは、約束の時間通りに来るし、遅刻するときは「5分遅れるよ」ってメールが来るのです。

「安野さんからしっかり連絡がきた!」

そんな当たり前のことで、感動していたのですが、ふと気付きました。

ストーリー漫画を描くって、一般的なことができなくなるくらい追い詰められることなのだ、と。
自分のすごーくすごーくテンパっているところを想像してみてください。
その状態で、いろいろなスケジュールを言われて、覚えていられるか? 約束の時間に気付けるか?
締め切りがある中で、安野さんは物語の世界の中にトリップして、ストーリーを考えています。

そんな状態で、いろいろなことに気づけ、というほうが無理があるのだな、
と僕も思うようになりました。

オチビサンは、すごく繊細な物語です。
だから、立ち止まって、一ページずつをゆっくり読むと、じわーっと心の中に作品の魅力が広がってきます。
忙しい人は、読んでも、その良さになかなか気づけません。
立ち止まって、弱っている人が読むと、ホッとさせられる。そんな今までの安野さんの作品とは、全く違う魅力を持った作品なのです。

——10年来一緒に仕事をしてきた佐渡島さんの目にも、その変化は驚くべきものだったようです。

普通の人並みの暮らしを取り戻していく過程で、オチビサンは彼女の大きな支えにもなりました。

1日30分でも布団から出て、オチビサンを描いていたという安野さん。少しでも漫画を描くという行為は、自分自身を「漫画家」という職業からドロップアウトさせないための、まるで命綱のようなものだったのかもしれません。

また、淡い色彩のオチビサンは、手刷りの版画技法・ポショワールというかなり手間のかかる方法で描かれています。その技法について、安野さんはこう語ってくれました。

淡い色彩のオチビサンは、手刷りの版画技法・ポショワールというかなり手間のかかる方法で描かれています。

安野:オチビサンを描くたびに「私、なーんでこんな技法で始めちゃったのかな〜」って思うんですよ。すごく時間がかかるんですもん。でも版の上からポンポンポン…って色を載せているうちにのめり込んで、最後は「はぁ…できたぁ〜!!」って嬉しくなるんです。描くことで元気になれる。一種の心理療法みたいに…オチビに癒されてるんですよね。

関わるクリエイターに愛され、彼らを癒していく『オチビサン』の力

そんなオチビサンは、これまでドラマ化、アニメ化されてきた安野作品とはすこし違う形で、周りのクリエイターからも愛されはじめます。

たとえば、NYを拠点に活躍する、PARTYのクリエイティブディレクター川村真司さん。

日本アニメーター市で発表するオチビサンのストップモーションアニメを作るのに、当初の予算を大幅にオーバーしてしまう川村さん。そこでクラウドファウンディングでカンパを募集
その制作プロセスを聞いてみると……

川村:自分で提案させていただいておきながらも、想像しただけでとんでもなく大変な制作になるな…と思ったんです。語弊を恐れずにいうと、「面倒くさいな」と(笑)。でも大体いつもそう感じるものって、心のどこかでやった方が良くなるよと判っているサイン。結果、やっぱりとんでもなく面倒くさい作業工程になって、発案者としてはチームのみんなに申し訳なくもあったのですが……でも、チームの信頼関係とオチビサンへの愛で乗り切りました!みんなかなり楽しんで制作してくれました。 そしてこの映像は、クラウドファウンディングでお金を出してくださったファンの皆さんが完成を楽しみに待ってる。その気持ちが僕らを後押しして、ものすごい面倒くささを乗り越え、それに見合うだけの愛あふれる作品に仕上がりました。

——この「面倒くさい」の内訳はとてもお伝えしきれないのですが、一部メイキング画像をご覧ください!

オチビサンのメイキング画像

オチビサンのメイキング画像

オチビサンのメイキング画像

オチビサンのメイキング画像

オチビサンのメイキング画像

これは「春」と「夏」のシーンを形づくった、ほんの一部の素材。「面倒くさい」の一角が伝わりますでしょうか?

その制作現場でプロデューサーとして大活躍した太陽企画の相原幸絵さんは、こう語ってくれました。

相原:実はオチビサンのアニメーション制作が始まる少し前から、本来大好きだったはずの物作りがちょっと辛く感じたりすることが少しあって。でも安野さんがオチビサンを描きながらオチビサンに癒されていたように、私もこのアニメーションを制作していくうちにいつしか元気になってたんですよ(笑)。オチビらしさをみんなで話し合って表現を追求して、本当に楽しかったし幸せな時間でした。

——そして出来上がった作品がこちら。(この7分41秒の中にはなんと、約3000コマの静止画が入っています!)

ファンクラブ限定の打ち上げで、相原さんと川村さんが心底打ち上がったときの様子です
(ファンクラブ限定の打ち上げで、相原さんと川村さんが心底打ち上がったときの様子です)

この作品は後ほど、世界4大アニメーションフェスティバルの一つ、Ottawa International Animation Festivalのオフィシャルセレクションにも選ばれました。おめでとうございます!

Ottawa International Animation Festival

「君たち、変な人に冷たくしてやるなよ」そんな思いで始めた新連載『鼻下長紳士回顧録』

2014年から、安野さんは6年ぶりにストーリー漫画を描き始めました。そのタイトルは『鼻下長紳士回顧録』。ビカチョウシンシカイコロク、と読みます。
『鼻下長紳士回顧録』1巻より
『鼻下長紳士回顧録』1巻より

19世紀末のパリを舞台にした、娼婦のお話。この物語では、かなり変わった性癖を持つ男性が次々と登場するのですが……安野さんはこう語ってくれました。

安野:若い女の子が、ちょっと変わったこだわりを持つ人に対して冷たく接しているのを見るにつけて、『君たち、キャパが狭すぎやしないか…そんなに冷たくしてやるなよ!』と言いたくなっちゃって。

何かを好きで好きで、私生活に支障をきたすレベルで打ち込む人って、私は尊敬してあげた方がいいと思うんです。いや、尊敬とまでいかなくても、尊重してあげたい。

自分が理解できない人を拒否するのではなく、そういう人もいるんだって、想像力をもって優しくすることって、大切だと思うんです。

今の若い子向けのドラマやアニメを見ると、ダメな男性も総じてみんなかっこいいんですよね。ダメなやつ、という設定なのに、ドラマ化すると瑛太さんみたいなイケメンが演じちゃうでしょう(笑)。

それも良いけど、世の中もっと変な人がいるんだぞ、っていうのを描きたくて始めたのが、『鼻下長紳士回顧録』なんです。

いや、その「変な人」が具体的に誰…って訳じゃないんですけどね。

——そう話す安野さんを見て、取材をしていた私たち全員の頭に真っ先に浮かんでくるのはもちろん「オタクの教祖」と呼ばれる安野さんの夫・庵野監督の存在。

庵野監督との日常を描いた安野モヨコさんのエッセイマンガ『監督不行届』より

庵野監督との日常を描いた安野モヨコさんのエッセイマンガ『監督不行届』より
庵野監督との日常を描いた安野モヨコさんのエッセイマンガ『監督不行届』より

「Wアンノ」として有名なクリエイター夫妻が互いをリスペクトしながら、幸せに暮らしているのは有名なお話です。だって最初に紹介した『監督不行届』のあとがきは、こう締めくくられているのですから。

だからこそ、自分の持てる仕事以外の時間はすべて嫁さんに費やしたい。そのために結婚もしたし、全力で守りたいですね、この先もずっとです。 —庵野秀明

漫画家人生を終えるその時まで、描き続けるであろう唯一の作品

最愛の夫に愛されて、自らの作品に愛を注いで、そうして生まれた作品が周囲からも精一杯の愛で育てられていく。

安野:どんなに支持を集めた作品も、いつかは絶対に連載が終了します。でも1つだけ。私にとってオチビサンという作品は、漫画家人生を終えるその時まで、きっと描き続けるものだと思うんですよ。

——たくさんの大人たちの深い深い愛情をもらいながら描かれる、『オチビサン』。豆粒町で過ごすオチビサンたちの日常は今日も、色鮮やかに描かれています。

オチビサン公式サイト

オチビサン公式サイト
オチビサンの試し読みやコラムなど、じっくり楽しめるコンテンツが満載です。
http://ochibisan.com/

安野モヨコ
安野モヨコ

1971年生まれ 漫画家。『働きマン』『さくらん』『ハッピー・マニア』などの作品がある。『シュガシュガルーン』で第29回講談社漫画賞を受賞。現在「AERA」で『オチビサン』「FEEL YOUNG」で『鼻下長紳士回顧録』を連載中。愛用の筆記用具はPILOT V CORNで、愛用の消しゴムはPLUS AIR-IN HARD。

    塩谷舞(しおたん)
    塩谷舞(しおたん)

    1988年大阪生まれ、京都市立芸大卒。PRプランナー/Web編集者。CINRAにてWebディレクター・広報を経てフリーランスへ。お菓子のスタートアップBAKEのオウンドメディア「THE BAKE MAGAZINE」の編集長を務めたり、アートのハッカソン「Art Hack Day」の広報を担当したり、幅広く活躍中。
    ciotan blog:http://ciotan.com/
    Twitter:@ciotan