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今回お話を伺ったのは、フィンランド在住のテキスタイルデザイナー島塚絵里さん。以前、CASE GALLERYで開催されていた個展『Mökki』をレポートしましたが、島塚さんは、自身のテキスタイルレーベルPikku saari(ピックサーリ)をプロデュースしながら、マリメッコにデザイン提供したり、MOOMINとのコラボレーション作品をつくったりと、いま話題のテキスタイルデザイナーです。
そんな島塚さんに、フィンランドに住むまでのことやテキスタイルデザイナーになるまでの経緯、そしてお仕事で大切にされていることまで、色々と聞いてきました!

かばん
島塚さんデザインのテキスタイル(個展『Mökki』より)

テキスタイル
島塚さんデザインのテキスタイル(個展『Mökki』より)

英語の教員を辞めて、27歳でフィンランドに行くことを決断!

箱庭:マリメッコやMOOMINなど名だたるブランドやキャラクターのデザインにも携わっている島塚さんですが、そういった仕事に携わる経緯が気になっている方も多いと思います。今日は島塚さんの人生やお仕事について、いろいろなお話をお聞きしたいのですが、まずは“なぜフィンランドなのか?”ですよね。はじめてフィンランドに行ったのはいつ頃だったんでしょうか。

島塚絵里さん(以下、島塚さん):中学2年生の時です。CISVという国際交流団体が主催する夏のホームステイのプログラムがあるのですが、直前に女子一名の欠員が出て、それで声がかかりました。男子5名、女子5名の計10名でフィンランドにいって、同じくらいの年齢の子供がいる家庭に一ヶ月ステイして、様々なアクティビティなどをして過ごすという文化交流プログラムでした。その翌年はフィンランドの学生10名が日本に来てパートナーの家に泊まるという交換ホームステイでした。

箱庭:13歳でホームステイは、結構ドキドキしますよね。

島塚さん:そうですね。英語もできなかったのでドキドキしました。私は姉が2人いるのですが、一番上の姉もホームステイを経験していて、アメリカの高校・大学で学んでいました。その影響もあって、私もいつか行ってみたいなとは思っていたので、母親に「フィンランドに行きたい?」って聞かれたときには、「うん、行く」と即答しました。

箱庭:それで行ってみて、魅了されたという感じでしょうか?

島塚さん:はい。水を得た魚じゃないですけど、のびのびと。はじめての外国だったので、すごく新鮮でした。英語に興味を持ったのもホームステイのおかげで、翌年友達が来日するということもあり、もっと話せるようになりたいという想いがあったので、英語でひとりごとを話して練習したり、学校のアメリカ人の先生に積極的に話しかけたりして、次の年には少しは話せるようになっていました。
その後、大学の時にも一年間交換留学でアメリカに行きました。高校の時に、大学の進学を美大か普通の大学かですごく迷いました。高校3年生の時は、油絵科を目指したり、ある時は留学を考えたり…。デッサンの塾にも通っていたのですがなかなか決められませんでした。そんな時、その塾の講師をされていた大学院生の方が「語学に興味があるなら、頭が柔らかいうちに学ぶのもいいかもしれない。美術は何歳からはじめても遅くないから。」って言ってくれて。

箱庭:デッサンの塾の先生がそう言ってくれたんですね。

島塚さん:そうなんです。東京芸大で油絵を学ばれていた方だったのですが、教えることの楽しさを知り、今は幼稚園の先生になる人達に絵を教えているそうです。その方の一言に背中を押していただきました。

箱庭:それでアメリカに留学することにしたんですね。

島塚さん:アメリカでは総合大学だったので、自由に興味のある授業に参加できました。そこで、アートの基礎コースを学んでみたり、3Dや2D、デッサン、グラッフデザインから写真まで、とにかく色々試してみました。アメリカでますますのびのび過ごしてきたものだから、日本に帰ってきて就職を考えた時に、自分には何があっているのだろうと考えてしまって。英語で自分の人生が切り開かれたので、その楽しさを伝えるのはできるかもしれないと考えて、英語の教員の道を進みました。ただ、その時も美術をもっと学びたいという気持ちはずっと残ったままで、それで27歳の時にフィンランドに行くことを決断しました。

箱庭:美術の方向に進みたいとなった時は、テキスタイルデザインとフィンランドだなって思ったんですか?

島塚さん:美術の方向に進みたいと考えてはいたのですが、方向がテキスタイルだ!とは決めていなかったです。ただ、沖縄に住んでいたので、伝統的なテキスタイルに触れたりする機会はあり、手仕事に憧れを抱いていました。『ガイアシンフォニー』というドキュメンタリー映画に出演されていた染織作家の石垣昭子さんという方が西表島に住んでいて、映画を観たときに衝撃を受けて、思い切って会いに行きました。そしたら本当に会えて!その時に、「どうやったら研修生になれますか?」と思わず聞いたのですが、テキスタイルを勉強していると良いと言われたので、頭の片隅に置いていて。という感じでだんだん種を集めていった形です。ヘルシンキの美大に合格した後、すぐに石垣さんに連絡をし、大学が始まる前の夏休みに一ヶ月の研修をさせていただきました。テキスタイルの原点に触れるような貴重な体験ができました。フィンランドに行くことを決めたのは、沖縄に住んでいる時に13歳の時に出会った仲間と再会したことがきっかけでした。

箱庭:13歳のホームステイが、大きなきっかけになっているんですね!27歳で新しい道に進むことに不安はあったりしましたか?

島塚さん:年齢のことはそんなに心配していませんでしたが、行ってみて、人生振り出しになったことに気付いて…(笑)仕事も、友人関係も、言葉も1からだったので、焦った時期もありましたが、すべて向こうに行ってからですね。割と直感にしたがって動いてきたので、行く前は期待で胸いっぱいでした。
でも今振り返ると、これまでの経験がすべてためになっているなと思います。フィンランドに行ってからしばらくはカフェで皿洗いをしていました。ウェイトレスになるにはフィンランド語がもっとできないといけなかったので皿洗いだったのですが、「あれ、27歳で私はこれからどうなるんだろう…。」と一瞬思いかけた時期もありました。だけど、そのカフェでは美大生がたくさん働いていたので、そこで話を聞いたり、情報交換したり、あとはシェフがおしゃべりな方だったのでフィンランド語をたくさん吸収できたのもそのカフェで働いたおかげです。語学学校には通っていたのですが、話し方と書き言葉が全然違う言語なので、そのシェフが生のフィンランド語を教えてくれました。あの時代があったからフィンランドで美術大学に合格できたと思います。入試もすべてフィンランド語だったので。不安もありましたが、人生振り出しの経験は、世界のどこでも生きていけるという自信につながり、「どうにかしなくては」という前に進む原動力にもなりました。

マリメッコでアルバイトから社員へ。行動と出会いが生んだ道。

箱庭:いろんな経験が繋がっているんですね。フィンランドで美術大学に通われて、マリメッコにはどういった経緯から…?

島塚さん:マリメッコは日本でも有名だったので、英語と日本語ができたら何か仕事があるのではないかと思って、人事部に電話をかけました。やはりフィンランド語ができることが条件だと言われて、一度諦めて、大学に入って半年くらい経って、フィンランド語も上達してきた頃に、今度はフィンランド語で電話をしてみました。すると以前電話に出てくれた人が驚いてくれて、どこどこの店舗で人が必要だから店長に電話してみたらって言ってくれて、面接に行くことになりました。そこで日本人を雇うのもいいかもしれないわねとタイミングよく雇ってくれました。店員として、日本人の店舗採用ははじめてだったようです。
そうやって、学校に通いながら店員をする生活をしていて、大学3年の時にアートワークスタジオでインターンシップとして働ける機会をいただいて、その時に噂で社員を増やすかもしれないらしいという噂を聞き、上司に社員になりたいですと話したら運よく採用されました。

箱庭:すごい!努力もすごいですが、タイミングもいいですね。

島塚さん:そうなんです。出会いに恵まれました。社員になってから永住権も申請出来て、すごく嬉しくて。ただ、アートワークスタジオのデザイナーは自分のデザインをやってはいけないという規則があって…。

箱庭:意外ですね。

島塚さん:はい。柄のデザインは全部フリーランスのデザイナーがデザインをしています。以前はインハウスデザイナーもいたのですが、体制が変わったのです。社員になれた頃は安定を手に入れたことにすごく満足していたのですが、なった後にその事実を知ったので少し複雑な気持ちになりました。

箱庭:社員になってからはどのようなことをしていたんでしょうか?

島塚さん:デザイナーが描いた原画はそのままではプリントはできないので、デザインをスムーズに繋げるようにリピートをつける作業をしたり、版分けといってコンピューターで色ごとにスクリーンを作る作業をしたり。あとはテキスタイルからいろいろなプロダクトになるので、サイズ感を調節したり。肩書はデザイナーですが、柄のデザインをするわけではありませんでした。

箱庭:なるほど。でも、その工程もフリーでやっていくには良い経験になったということでしょうか。

島塚さん:そうなんです。ここでの経験のおかげで工程がわかったのと、実用的な技術を身につけることができたので、フリーランスとして働いていくにはよい土台を築けたと思っています。そうやって社員として働いていましたが、社員になったのが学生の途中だったので、卒業制作が残っていました。卒業制作だったら自分の柄は提案してよいとチャンスもいただくことが出来て、今だと思ってたくさん案を描いてクリエイティブディレクターにプレゼンをしたところ、3つ採用されました。

箱庭:すごいですね。

島塚さん:仕事で主に担当していたこともあり、ファッションのプリントで採用されました。その後、2年間休職したのですが、その間に復職するかフリーランスになるか考えなさいと上司から課題を与えられて。勉強しつつ、日本の本や雑誌のコーディネートの仕事や執筆・デザインの提供をしながら様子をみていて、でもなかなか決められなくて…。働いている環境も素晴らしくて、同僚とも仲がよく、働くのも楽しくて、やりがいもありました。一度手にした安定した職業を手放すことや、フリーランスで生きていけるのかという不安もあって。すごく悩んでいる時に上司と話したら、当時50歳を迎えた上司が、「50歳になった時に後悔のない選択をしなさい!」と背中を押してくれました。

箱庭:その時島塚さんは、何歳だったんですか?

島塚さん:3~4年前の出来事なので、34歳くらいですね。それで、せっかくチャンスを得たので、前に進んでみようと決断できました。パートナーも「どちらの道を選んでも、応援するよ」と言ってくれて勇気が出ました。最後に上司に辞めますと伝えた瞬間、色々な想いがこみ上げ来て、ぽろぽろと涙がこぼれました。

仕事場
(島塚さんの仕事の風景)

すべての経験を活かして、フリーへ。

箱庭:そこからすごく順調に飛躍されていますよね!

島塚さん:お陰様で、仕事には恵まれています。コーディネートもやりつつという感じで考えていましたが、辞めると言ってからすぐにkokkaやkippisからオファーがあり、マリメッコにも提供しつつという感じで、デザインのお仕事が徐々に増えていきました。

箱庭:ムーミンとのコラボは、向こう側からアプローチがあった感じでしょうか?

島塚さん:はい、ムーミンの日本のライセンスを担当している会社があるのですが、ムーミンとコラボレーションしませんかとお声がかかったとkokkaから聞いています。

箱庭:色々なところからお声がけされて忙しいと思いますが、いつも新作を考えるときはどのくらいのスパンで制作されるんでしょうか?

島塚さん:そうですね、マリメッコの時は一年半くらい先から取り組んでいたのですが、日本は早いです!早いと半年くらいとかだったりするので、スピードがかなり違います(笑)。色々サンプルもつくったり、カタログを作ったりなど、見せ方を考えたりもしないといけないので、短期間でやることがたくさんあるのです。

箱庭:そのあたりも全部ご自身でやっていらっしゃるんですか?

島塚さん:Pikku saariに関してはそうです。今はメーター生地が主ですが、いずれは自分でプロダクト化もしていきたいと思っています。娘が一年前に産まれたこともあり、平日は私が面倒みていて、土日は夫に子守を頼んで、その間に柄を考えたりしているので、なかなかチャレンジですね。

箱庭:それでこれだけの新作を!パワフルですね。

島塚さん:去年の暮に3柄、ムーミンと合わせて6柄手掛けさせていただきました。ムーミンは製品化が決まりました。
今は仕事と育児のバランスを見ながらという感じでやっていますが、デザインの仕事を主にしながら、コーディネートも時々しています。デザインはどちらかというと家に籠ってする仕事ですが、もともと人好きなので、外に出るコーディネートの仕事も好きです。コーディネートのお仕事を通して素敵な人々に出会えたので、それも財産になったと思っています。

箱庭:経験すべてを活かして、今があるという感じですね。

島塚さん:はい。テキスタイルで表現すると、細い糸が大きな糸になっていったという形ですね。たくさん寄り道しつつ…。異文化には昔から興味があり、テキスタイルってどこの国にいっても人々の暮らしの身近にあるものなので、その土地ならではの織りや染めに惹かれていき、興味が深まっています。旅好きなのですが、旅先でのテキスタイルを見るという楽しみも増えました。

箱庭:テキスタイルって、その国の個性が出ますよね。

島塚さん:そうですね。それでいて、一番人の肌の近くにあるものですし、絵画の要素も強かったりするので、そういうテキスタイルの魅力に少しずつ気付いていったという感じです。高校生のときには全く知らない分野でした(笑)。

箱庭:そうですね、なかなか学生の時の選択肢には難しいかもしれないですね。特に、昔はテキスタイル自体が注目を集めることも今ほど多くはなかったですよね。

島塚さん:はい。学生の時は、漠然と油絵と思ってましたけど、どうやって食べていくんだろうっていう漠然とした思いもあって。テキスタイルデザインはここ最近、手紙舎さんが開催する布博などのイベントもあり、注目を浴びていったようですね。

170616shimazuka_01(Pikku saariのテキスタイル)Parveke (ベランダ)2016年 写真:Jussi Kalliopuska
170616shimazuka_02(島塚さんがテキスタイルデザインしたマリメッコのお洋服)

長く使えるものをつくっていきたいという想い

箱庭:あと仕事をする上で大切にしていることってなんでしょうか?

島塚さん:私の仕事はインスピレーションが大切で、色々なところにアイディアが隠れているので、移り行く自然や日々の小さな発見にも目を向けるようにしています。あとは日々の暮らしを大切にしていけたらと思いますね。フィンランドも季節がはっきりしているので、ベリーがなっていたりきのこがなっていたり、忙しくてもそういったことを取り入れるようにしたいなと思います。自然の中に身を置いて、頭を空っぽにするのも時には大切です。夏休みに夏小屋でシンプルに過ごすのはよいリセットになります。
今回の新作もそうですけど、自分のブランドだけではなくて、自分の作品はフィンランドの暮らしがもとになっていて生まれているので、その背景にあるものも感じていただけたらなと思っています。なので、気分とか表現したいこと、形とかに合わせて道具を変えています。

箱庭:今は次の新作を作られているんですか?

島塚さん:そうですね。日本に滞在している間は周りに刺激がありすぎて、デザインする時間がなかなかありません。フィンランドは自然が豊かでモノが少なく外からの刺激が少ないので、制作に集中できます。

箱庭:お子さんが生まれたことで変わったことってありますか?

島塚さん:今は1歳なので後で振り返ることかもしれないですが、娘のために絵本を作りたいと思うようになりました。デザインに関わる者として、長く使えるものを作っていきたいというのが根底にあります。テキスタイルの一番の理想は、姉のぼろぼろになったブランケット。アメリカに7年留学していた姉が日本からブランケットを持っていったのですが、小さなぼろぼろの布になっても大切にしていて。たぶん今ではお守りのようなものなのだと思います。テキスタイルは使えば使うほど、モノを超えた価値観を持つようになる可能性があるのです。私もボロボロになっても捨てられないものを作れたらいいなと思っています。
そういう意味では、昔読んだ絵本とかはずっと心に残っているので、モノを超えた価値観という意味で共通しています。まずは身近な娘に向けて作ってみたいなと。あとは、フィンランドの文化や自然が感じられるような絵本にしたら、日本でも面白いかなと思っています。フィンランド発祥の食べ物を使った赤ちゃんのお絵かきワークショップがあるのですが、娘と一緒に参加したのがきっかけで、日本でも個展を開いた際に開催しました。こんな風にデザインや仕事を通じで、フィンランドの文化を伝えるのも私の仕事の一つだと考えています。

箱庭:今後も楽しみですね。

島塚さん:そうですね。いろいろ学んで、少しずつ還元していければと思います!

島塚さん、ありがとうございました!

    テキスタイルデザイナー 島塚絵里

    ヘルシンキ在住のテキスタイルデザイナー。津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業後、東京や沖縄で英語教員を務める。2007年に渡雰し、2008年よりヘルシンキ芸術大学(現・アアルト大学)にてテキスタイルアートを学ぶ。2010年よりマリメッコ社アートワークススタジオにてデザイナーとして勤務。現在はフリーランスデザイナーとしてマリメッコにプリントデザインを提供する他、イラスト、執筆、コーディネート、翻訳の仕事にも携わっている。

    WEB:http://www.erishimatsuka.com/