佐原張子 鎌田芳朗さん おかしみ展

こんにちは、シオリです。
今日お届けするお話は、少し前の5月のこと。すっかり日々に忙殺され、あっという間に夏になってしまいましたが、この記事はゆっくりじっくりとお届けしたいと思っていたので今日まで温めてしまいました。どうぞお許しくださいね。

さて、みなさんは「佐原張子」をご覧になったことはありますか?もこもこっとした独特のフォルムに、どこか愛嬌のある表情。見ていると顔も心も緩んでくる、そんな魅力ある張子の人形です。

佐原は、千葉にある北総の小江戸といわれ、江戸の情緒が漂う風情ある街並みが美しい場所。そんな佐原で、19歳の頃から張子づくりをされているのが、今年5月に東京都内で初となる展示を開催された今年83歳になる鎌田芳朗さん。私はかねてから鎌田さんの作る招き猫が気になっていたのですが、今回の展示情報を聞きつけて、これは行くしかない!と足を運んできたのでした。ありがたいことに、会場にいらしていた鎌田さんご本人にもいろいろとお話を伺うことができましたので、前編・後編の2回に渡って展示の様子などをお届けしていきたいと思います。

祖父の仕事を引き継ぎ、張子職人となった鎌田さん

佐原張子は、1918年創業の「三浦屋」さんの三代目である鎌田芳朗さんが作る張子です。鎌田さんの祖父が明治の終わり頃、香取神宮の境内で売られる達磨や、ゴムで動くおもちゃ・亀車などを作り始めたことで誕生しました。

佐原張子の作り手 「三浦屋」三代目 鎌田芳朗さん
(佐原張子の作り手 「三浦屋」三代目 鎌田芳朗さん)

そんな三浦屋を営む祖父の孫として生まれた鎌田さん。意外にも「子供の頃から不器用で、こういう仕事はやりたくなかった」とおっしゃいます。こんなエピソードも教えてくださいました。

鎌田さん「こういう仕事は、嫌いだったんですよ。生来不器用ですから。絵や工作は苦手でね。中学生の時に写生した絵を、先生に『これは幼稚園生の描く絵です』って言われたこともありました。ダルマを写生してこいっていう宿題があったんですよ。みんなは、ちゃんとしたダルマを書いてくる。私はね、雪だるまみたいな。ダルマ屋の息子でありながら、なんでそんなって。」

佐原張子 おかしみ展
(会場にあった大きなダルマ。)

そんな鎌田さんが現在の職人に至るきっかけとなったのが、19歳の時でした。ダルマの出荷を控えた年末に、お祖父さんが急逝されてしまうのです。お祖父さんの枕元で注文の仕方などをいろいろと聞きながらも、十分に教わりきることなく一人で注文に対応することとなります。ぶっつけ本番ながらもなんとか乗り切った上に、今年のダルマは元気がある、勢いがあっていいと言われたそうです。

そうして、佐原張子の作り手の道を歩むことになった鎌田さん。もともとやりたくなかったとおっしゃっていたその時から、今のように活動されるようになるまで気持ちの葛藤があったようですが、その作品はお祖父さんが作っていたダルマや亀車の枠を飛び出して、新たな魅力を放っていきました。

かつてない数の作品が一堂に集合!これまでの作品を振り返る回顧展

佐原張子 鎌田芳朗 おかしみ展
ここで、展示の様子をお届けしたいと思います。冒頭でも触れましたが、今年5月の展示は鎌田さん初となる東京都内での開催。貴重な機会に、私が訪れた時にもたくさんの方がいらしていました。

展示のタイトルは「おかしみ」。おかしみとは、“とぼけた味”“ユーモア”というような意味があるそうで、まさに鎌田さんの張子がイメージされます。

佐原張子 鎌田芳朗 おかしみ展
私は招き猫目当てでしたが、展示会場に一歩はいるとバリエーション豊かな作品たちに驚きました!この虎と竜は、大人が乗れるくらいの大きさ。鎌田さんご本人は、若気の至りで作ってしまったとおっしゃっていましたが、迫力とかわいらしさが組み合わさって素敵ですよね。この大きさを作るときはバケツやダンボールを使う大がかりな作業で、すごく大変なのだそう。

佐原張子 鎌田芳朗 おかしみ展
会場は、CCAAアートプラザ内にある四谷三丁目ランプ坂ギャラリーでした。いくつかの部屋にまたがり、鎌田さんの作品がところ狭しと並びます。どこに目線をやっても楽しい、そんな会場になっていました。

佐原張子 鎌田芳朗 おかしみ展
天井から吊るさせて展示されている作品まで。これは、こいのぼりでしょうか?!

佐原張子 鎌田芳朗 おかしみ展
そして、私のお目当ての招き猫も発見!こんなにたくさん!!実はこの右側の棚にもまだまだ沢山の招き猫が並んでいましたよ。このアバウトなフォルムと、ゆるい絵付けは鎌田さんにしか出せない味。

佐原張子 鎌田芳朗 おかしみ展
佐原張子 鎌田芳朗 おかしみ展
お面、お雛様なども愛らしいですね。ここまで沢山並んでいるのは、ほんとうに贅沢な空間でした。

鎌田さんの作品は、地元・佐原でも愛される存在で、交流館や駅の待合室など公共の場所にも飾られているそう。今回の展示には、普段そんなふうに街に飾られているものも集結し、これまでにない数の作品が一堂に会すこととなったそうです。

「他に天職があるはずだ」と思いながらも続けてきた張子職人の道

佐原張子 鎌田芳朗 おかしみ展
(どれも愛らしい表情がたまらない、縁起物の扇子。)

19歳の頃から、たくさんの作品を作りつづけてきた鎌田さん。先ほどお伝えしたように突然受け継ぐ形になってしまったこともあり、「もっと他に天職があるはずだ」という想いが拭えず、しばらく悶々とする日々が続いていたんだとか。

それでも、鎌田さんは佐原張子を作ることを辞めませんでした。ご自身は「どっかへ出ようっていう勇気がなかったんだよね」とおっしゃいますが、きっと続けていくことも辞めること同じくらい大変だったはずです。

鎌田さんご自身は悶々としながらも、佐原張子の魅力に周りが注目していきます。鎌田さんが張子づくりを引きついで一年もしない頃、郷土玩具を研究する大学の教授がお祖父さんの作っていた亀車を求めて訪ねてきたことがあったそう。たまたま残っているものがあったのでそれを渡すと、その亀車が郷土玩具会の季刊誌の表紙になります。

その後、千葉県の県紙「千葉日報」で県内の郷土玩具が取り上げられ、その中で佐原張子も取り上げられるという出来事も。それを見た方から、デパートで出展して欲しいとの依頼があったのですが、当時ダルマと亀車くらいしかなく、次の年も出展するのに毎回同じものではマンネリになってしまうと思って、違うものも作り始めたのだそう。それがラインナップを増やすきっかけにもなり、また別のところから注目される機会にも繋がっていきました。

佐原張子 鎌田芳朗 餅つきうさぎ
そうして、徐々に多くの方へ知られていった佐原張子。1987年に県の伝統的工芸品に指定され、1999年には「餅つきうさぎ」が年賀切手の絵柄に採用されます。鎌田さんはそれでようやく「もう、これが天職だなぁ」と考えるようになったのだとか。

確かに、私たちが郷土玩具の魅力に心を奪われるようになったのは、鎌田さんの長い職人生活の中では、最近のことなのかもしれません。「自分が何かしているわけじゃなく、周りの方が取り上げてくれたり、声を掛けたりしてくれるからね」とおっしゃる鎌田さん。「最近は、若者が盛り上げてくれるから本当にうれしい」ともおっしゃっていました。

求められることに、ひたすら真摯に答え続けること

佐原張子 鎌田芳朗 招き猫
(展示で購入用に用意された招き猫たち。ひとつひとつ表情が異なり、どれにしようか迷います。)

「いろいろとありながらも、今は作るのは楽しいですか?」と伺ったところ、「作るのは楽しくはないね(笑)」との答えが。その答えを聞いて、はっとした私。最近はなにかと仕事に楽しさ、やりがいや充実感を簡単に求めてしまうことが多いような気がします。求められるものを受け入れてひとつひとつ真摯に答えていく、そんな基本的な姿勢に向き合うことを忘れているのかもしれないな、と思ったのでした。

鎌田さんは、展示でたくさんのお客さんがいらっしゃる中で、本当にいろいろとお話を聞かせてくださいました。この記事だけでは収まらない!ということで、続きは後編で。

後編では、鎌田さんに伺った、作品に込める想いをお届けしていきたいと思います。

    ◆お話を伺った方
    鎌田芳朗
    佐原張子の作り手。「三浦屋」三代目。

    佐原張り子 三浦屋
    住所:千葉県香取市佐原イ1978
    電話:0478-54-2039 鎌田芳朗方
    営業時間:9時~18時 不定休