国立西洋美術館

こんにちは!タナカユウキです。
今回は2016年7月に世界遺産への登録が決まった美術館について、けんちく目線でご紹介します。

建築というと、難しい顔をしながら腕を組んで考える、そんな分野に捉えられがち。
建築がもっと身近に感じられるよう「建築」ではなく「けんちく」のような柔らかい部分をお伝えできればと思います。

そして、けんちく目線での紹介を通して、素敵な建物との出会いや新たな発見につながれば嬉しいです。

国立西洋美術館

©国立西洋美術館

東京都は上野、博物館や動物園などの文化施設が建ちならぶ上野恩賜公園のなかに国立西洋美術館はあります。

日本でたった5つの「国立」美術館。そのうちの1つである国立西洋美術館は、1959年に開館して以来、建物の増築や地震に対応するための工事を重ねながら、当時の姿をできるだけ残して建っています。

本館は、立方体の箱を柱で浮かせたようなかたち。淡く緑がかった壁をもち、派手さはないけれど重ねた時を感じさせる存在感があります。

そんな国立西洋美術館は2016年7月、約9年にもおよぶ努力が実り世界文化遺産への登録が正式に決まりました。
歴史ある神社やお寺、産業の発展を支えた建物が多い世界文化遺産。芸術を扱う建物としての登録は、珍しいといえます。

では、この美術館はどんな理由で、世界遺産に登録されることになったのでしょうか?

その理由のひとつとして、設計した建築家とその物語があります。

今回は建物のご紹介のまえに、国立西洋美術館の設計に携わったとある人物について少しお話しさせてください。

建築家 ル・コルビュジエと国立西洋美術館

国立西洋美術館

建築家 ル・コルビュジエ。
シャルル・エドゥアール・ジャンヌレという本名をもつその建築家は1887年にスイスで生まれ、時計職人を志していました。しかし、弱視を患ったことから時計職人への道をあきらめ、やがて建築を学ぶことになります。

ル・コルビュジエは自身が手がける建築に新たな試みを次々に採用し、そうして生まれた建築技術は、世界中の建築家に影響を与えました。

まるく太い黒縁メガネをかけた横顔。多くのこだわりがにじみ出るような風貌。外見にあらわれるほどの感性と才能のもと ル・コルビュジエは、芸術作品ともいえる建物を世界中に残しました。

建てるだけではありません。

ル・コルビュジエは情報発信の人でもありました。メディアの人とも言い換えられるかもしれません。
建築設計のかたわらで約50冊にもおよぶ本を書き、自ら雑誌の編集を行い、自分の考えを世に発信し続けました。

発信された多くの考え方は、新しい価値観を提案し、そのうちのいくつかは現代の建築を支える基礎にもなっています。
そのような発信を行う際に使っていたのが「ル・コルビュジエ」というペンネーム。
「カラス」の意味をもつ「Corbeau」。同氏の横顔がまるでカラスのような鋭さを感じさせることから、このペンネームが用いられました。その印象的な名前で呼ばれることが一般的になり、「ル・コルビュジエ」として世界中の注目を集めていったのです。

国立西洋美術館

あるとき日本で、フランス西洋美術のコレクションを扱う美術館を建設することになります。その設計者として白羽の矢が立ったのが、当時フランスで活躍していたル・コルビュジエ。

設計を依頼された当時68歳であったル・コルビュジエは高齢でありながらも、遠い異国の地に美術館を建てることを承諾します。
その背景には、かねてより温めていた美術館についてのとある構想を実現したかったこと、そして日本には、信頼を置ける弟子がいるということがありました。

かつてル・コルビュジエのもとで修行をし、日本に帰国した3人の弟子・前川國男、坂倉準三、吉阪隆正。

国立西洋美術館は、ル・コルビュジエが基になる設計をし、工事を行うために必要となる細かな設計はこの3人の弟子が行いました。

そうして、師匠とその弟子たちにより「国立西洋美術館」は完成したのです。

完成からおよそ50年を経て、ル・コルビュジエの手がけた建築を世界遺産へ登録する取り組みが生まれます。その取り組みの一環として、日本では唯一のル・コルビュジエ建築「国立西洋美術館」が対象となり、取り組みの末に世界遺産となったのです。

少し長くなってしまいましたが、ここからは建物に目を向けてみましょう。

外から見る国立西洋美術館

国立西洋美術館

建物の体は、緑色をした多くのパネルで覆われています。

このパネルには緑がかった玉石が敷きつめられており、それらをモルタルといわれるコンクリートの原料で固めています。そのように作られたパネルが建物の表面を覆っています。

からっと晴れた日の淡い緑も素敵ですが、雨が降ると、パネルに埋められた石が濡れて緑が深くなります。
そのようにして、建物全体の雰囲気が変わって見えるのが外観の特徴です。

国立西洋美術館

建物の入り口に近づくと、柱で建物を浮かせた「ピロティ」と呼ばれるスペースがあります。

現代では、たとえば住宅の駐車スペースや通路としても使われるピロティ。今でこそ一般的なものですが、この「ピロティ」という建築の様式はル・コルビュジエが世界で初めて提案したものです。

ル・コルビュジエは当時、誰も実現しなかったことを形にし、誰もが感覚でやっていたことを言葉にしました。

そんなピロティから少し目線を落として、床にも注目してみましょう。

国立西洋美術館

建物前の広場と建物とのあいだには、このような継ぎ目があります。

これは過去に行なわれた「免震レトロフィット」工事によるもの。

阪神淡路大震災がきっかけで建物の基準が見直され、この美術館でも地震への対策が求められました。
地震への対策としては、柱を太くしたり壁を増やすことで建物自体を強くする「耐震工事」があります。
シンプルで分かりやすい方法ですが、これには建物の見た目が変わってしまうというデメリットがあります。

そのために国立西洋美術館では、「免震レトロフィット」工事が採用されました。

「免震レトロフィット」工事とは?

免震レトロフィット

それはどんな方法なのでしょうか?

建物をすぱっと縦に切り、その断面を横から見ているこの模型でご説明します。

まずは、地震対策を行なうべき建物を地面から浮かせます。模型でいうと、真ん中の部分です。

その部分が地下で、地面とのあいだに隙間ができていることが分かります。

そうして浮かせた部分に、固いゴムの土台を入れます。ゴムの土台は直径60センチ程度の円柱型。

ゴムの台座を用意すること49本。それらを建物の下に設置し、建物をゴムの台座で支えて地面から浮かせます。

こうすることで、地震による揺れのエネルギーは、建物に到達する前にゴムにより軽減され、結果として建物に伝わる揺れが小さくなるのです。

これが国立西洋美術館で行われた「免震レトロフィット」工事のイメージとその効果です。

免震レトロフィット

「免震レトロフィット」工事で設置したゴムによって、浮かされた建物。

これにより、の部分には、地面に継ぎ目が生まれます。

免震レトロフィット

その継ぎ目が、先ほど写真を載せたこちらです。

建物の形に手を加えることなく地震に強くするための「免震レトロフィット」工事。
その形跡が私たちに見えるところ。それがこの地面の継ぎ目なのです。

それではこの継ぎ目をまたいで、美術館へと入ります。

美術館本館の中心、19世紀ホール

19世紀ホール

©国立西洋美術館

美術館の本館に足を踏み入れました。常設展示室の始まりであるこの空間では、予想もできないような高い天井に圧倒されます。

「19世紀ホール」と呼ばれるこのホールは四角形の建物の中心にあたります。

今回の「国立西洋美術館」。平日のお休み、少し早起きをして開館時間に訪れるのがオススメです。

空間自体が作品ともいえるこの場所で、ゆったり広い空間と静かな時間を楽しむ。

19世紀ホール

三角形に切り取られた天窓からは自然光が降り注ぎ、まるで教会に足を踏み入れた時のような静粛な気持ちにさせられます。

考える人

オーギュスト・ロダン《考える人》1881-81年 ブロンズ 国立西洋美術館 松方コレクション

19世紀ホールからはスロープを使って、次の展示室へ移動します。

床の素材がそのまま立ち上がった側面をもつスロープは、それ自体が彫刻作品のようです。

スロープとは、ゆるやかに空間と空間をつなぎます。階段のように段差がない分、スロープでの移動中は途切れることなく周囲の景色の移り変わりを体験することができます。

このような移動にともなう豊かな体験を「建築的プロムナード」と呼び、言語化したのがル・コルビュジエでした。
人が移動することについて、とても丁寧に考えたル・コルビュジエ。

スロープを歩きながら移り変わる景色や、そこから見下ろす19世紀ホールもまた素晴らしいので、是非とも現地でお楽しみください。

ぐるぐると螺旋を描く、常設展示室

国立西洋美術館 常設展示室

スロープを上がると、本館展示室にたどりつきます。

国立西洋美術館は先ほどの19世紀ホールを中心に、そのまわりを常設展示室がぐるりと囲むようにして構成されています。

それはまるで中心部から外にむかって、ぐるぐると螺旋を描いて広がる巻貝のような。

この巻貝をおもわせる構造、これこそがル・コルビュジエが長いあいだ温めていた美術館の構想でした。

時とともに様々な文化が生まれ、変化してゆく世界の広がり。そんな世界の広がりに対応するための美術館として、中心から外へ向けて螺旋が広がる巻貝のような美術館が構想されました。

土地の広さが許す限り、展示作品の増加に合わせて螺旋を増やして、美術館を大きくすることができる。そのようにして芸術文化の広がりとともに、成長していく美術館・・・・

この「無限成長美術館」といわれる構想が国立西洋美術館には採用されており、その結果が19世紀ホールを中心として螺旋状に広がる展示室のつくりなのです。

この構想こそが、ル・コルビュジエがかねてより実現したかったものでした。

ブロンズ 国立西洋美術館

コルネイユ・ヴァン・クレーヴ《プシュケとクピド》1700-10年頃 ブロンズ 国立西洋美術館

残念ながら、実際に螺旋を増やして美術館を大きくすることは実現されていません。

ですが、ル・コルビュジエの考え方はたしかに建物のつくりに残されており、そしてこの「無限成長美術館」の構想が実現した美術館は、世界を見渡しても3つしかないと言われています。

そのうちの1つがここ、国立西洋美術館なのです。

国立西洋美術館

本館展示室の上を見上げると、水平に窓が並んでいます。

この窓はもともと透明であり、自然光が展示室内に入っていました。

今ではここから自然光が降り注ぐことはありません。なぜならば太陽の光は、展示されている作品を傷めてしまうからです。

ル・コルビュジエは建物の中に注ぐ光に対しても、丁寧に向きあった建築家でした。国立西洋美術館に設けられたこの窓は、自然光を取り込むことで刻々と流れる時に合わせて展示室の明るさを変える役割をもっていました。

とはいえ、美術品の劣化に目をつぶることはできません。ル・コルビュジエの想いにそっとフタをすることにはなりますが、現在この窓には光を遮るための工夫がなされています。

国立西洋美術館 階段

螺旋状の本館展示室を歩いていると、階段があらわれます。

中3階をつなぐこの階段は、すっと線の通った手すりと階段の断面を見せながら、展示室に佇んでいます。

残念ながら、片側にしか手すりがないことによる危険性への配慮から、この階段は現在使われておりませんが是非とも注目してあげてください。

中庭に面したレストラン

Café すいれん

展示を楽しんだあとは、1階にあるレストランへどうぞ。

美術館内にあるレストラン「Café すいれん」では、中庭を眺めながら食事を楽しむことができます。

ビーフカレー

中庭も素晴らしいのですが、もっとオススメなのはここで頂けるビーフカレー。

美術館のカレーライスは、なぜか美味い。個人的に「ミュージアムカレー絶対の法則」と勝手に呼んでいるこの法則は、国立西洋美術館でも生きています。

ここで食べられるビーフカレーは、頬張るとほろほろと崩れる牛肉が惜しみなく入っており、ルーのなかで絶妙に形を残す玉ねぎがたまらない仕様。国内でもかなりのレベルの美術館カレーなので、是非ご賞味ください。

小窓

お腹も満たして、地下の休憩スペースへ。

ここでは壁にあいた小窓から、建物を地震から守る免震装置を見ることができます。そうです、あのゴムの土台を生で見ることができるのです。

小窓の先の景色は、是非とも実際にご鑑賞ください。

けんちく目線で見てみると、この美術館のいちばんの芸術作品は、この小窓から覗くことのできる免震装置だと僕は思います。

国立西洋美術館

日本で、唯一。

建築家 ル・コルビュジエが日本に残したただ1つの建築は、上野恩賜公園内で今もなお時を刻み続けています。

国立西洋美術館が見つめるその先。向かいには「東京文化会館」という建物があります。その設計はル・コルビュジエの弟子である建築家、前川國男。

ル・コルビュジエが唯一日本に残した建物は、その弟子が手がけた建物と向き合いながら現在もそこに建っています。

多くの人で賑わうこの公園では、偉大な建築家がつくりあげた歴史と、建物をめぐる師弟関係の物語がひっそりと続いているのでした。

<参考文献>
ル・コルビュジエ(1967)『建築をめざして』鹿島出版会
高階秀爾+鈴木博之+三宅理一+太田泰人(1999)『ル・コルビュジエと日本』鹿島出版会
暮沢剛巳(2009)『ル・コルビュジエ—近代建築を広報した男』朝日新聞出版
藤木忠善(2011)『ル・コルビュジエの国立西洋美術館』鹿島出版会

    国立西洋美術館

    住所:東京都台東区上野公園7番7号
    開館時間:9:30-17:30(冬期は〜17:00まで)
        金曜日 9:30-20:00
        土曜日 常設展 9:30-20:00、企画展 9:30-17:30
        ※入館は閉館の30分前まで
    休館日:月曜日(休日の場合は翌火曜日)、年末年始
        ※その他臨時休館についてはwebsiteをご確認ください
    website:http://www.nmwa.go.jp/