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「吉岡徳仁 ガラスの茶室 – 光庵」が東京・国立新美術館で特別公開!
こんにちは、箱庭編集部の森です。
2015年に京都・将軍塚青龍殿の大舞台で披露され大きな話題となった「吉岡徳仁 ガラスの茶室 – 光庵」が、4月17日(水)より東京・国立新美術館で特別公開となりました!早速見に行ってきましたので、今日はたくさんの写真とともにお届けします。
黒川紀章氏が設計した国立新美術館のガラスと贅沢なコラボ!
「ガラスの茶室 – 光庵」は、自然をテーマにした詩的で実験的な作品によって、デザイン、建築、現代美術の領域で国際的に活動するデザイナーであり、東京2020の聖火リレートーチもデザインしている吉岡徳仁氏による作品です。2011年の第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展にて発表され、日本で最初に披露されたのは、先述したとおり京都の将軍塚青龍殿の大舞台。(箱庭の京都レポートはこちらから。)あまりの美しさにSNSなどでも大きな話題となり、当初予定されていた会期を延長し、2年半近くも展示されました。
そんな話題のガラスの茶室が東京での公開にあたり、舞台としたのは国立新美術館。しかも設置場所は、正面入口前!
自然光のもとで変化する表情を見ていただきたいという吉岡氏の想いもあり、屋外での設置となりました。
建築家 黒川紀章氏が設計した国立新美術館のガラスと、贅沢なコラボです。
光をガラスによって表現した茶室
吉岡氏は「光そのもので建築をつくりたい」と考え、ガラスによって光を表現しました。
この茶室には、伝統的な掛軸や生け花はありません。日本的な要素の中で、様式を見せずにいかに日本の本質を見せるかということを、この建築によって表現しています。
移り変わる自然の中で、どう変化していくのか。時間そのものだったり、非物質的なもの、抽象的なものがクリエイションになるのではないかと考え、空間と時間の概念を超えた、日本文化の根源を再考する作品が実現しました。
茶室を新しく変えたいということではなく、「日本の文化とは何か」をこのような作品をつくることで発見していくといいます。
茶室の畳となるガラスの表面には凹凸があり、降り注ぐ太陽の光により水面のような輝きを生み出します。この凹凸には、正座をしても痛くないという役割もあるんです。
天井には細長いクリスタルプリズムの彫刻があり、太陽の光線で光は虹となり「光の花」を生み出します。11時頃出現するようですが、取材時は午後だったので、残念ながら見ることができなかったので、みなさん実際に見に行ってみてくださいね。
自然光のもとで変化する表情
たった1時間見ているだけでも、見え方がどんどん変わっていくので、本当に面白いです。時間だけでなく、天気や季節によっても変化するので、全く同じ表情をする時はないと思います。「光そのもので建築をつくりたい」と吉岡氏が考えたように、ガラスの茶室は「建築」だけど「自然」みたいなんですよね。不思議ですね。
ガラスの茶室とともに、パリのオルセー美術館にコレクションされているガラスのベンチ「Water Block」も展示されています。以前箱庭でレポートした、21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー3での展示「吉岡徳仁 光とガラス」でも拝見していましたが、いつ見ても素敵です。
ガラスの茶室に注ぐ木漏れ日と影も美しく、ガラスの茶室のある空間そのものがとても神秘的でした。
2021年5月10日までと、およそ2年間の会期で特別公開となるガラスの茶室。何度も足を運んで四季折々の表情をぜひご覧いただきたいです。
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吉岡徳仁 ガラスの茶室 – 光庵
2019年4月17日[水] – 2022年5月30日[月]
休館日|毎週火曜日(祝日又は振替休日に当たる場合は開館し、翌平日休館)、年末年始
開館時間|美術館の開館時間に準ずる
※展覧会によって、観覧時間が異なる場合がありますので、サイトをご覧ください。
観覧料|無料
会場|国立新美術館 正面入口前(東京・六本木)
〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2
サイト|http://www.nact.jp/2019/chashitsu/
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吉岡徳仁プロフィール
デザイナー / アーティスト
1967年生まれ。2000年吉岡徳仁デザイン事務所を設立。デザインや建築、現代美術の領域において活動している。
自然をテーマに表現された作品は、国際的に高く評価されており、東京2020オリンピック 聖火リレートーチもデザインしている。
作品はニューヨーク近代美術館(アメリカ)、ポンピドゥー・センター (フランス)、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(イギリス)など、世界の主要美術館に永久所蔵されている。国際的なアワードを多数受賞、アメリカNewsweek誌による「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれている。